雄弁は銀、沈黙は金?
明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
本年は弊社にとって飛躍の一年となりそうです。というのもSDMS開発はすこぶる順調に来ておりまして、現時点でおそらくみなさま驚愕されるレベルの技術水準に到達していると考えられます。乞うご期待!
さて、タイトルにある「雄弁は銀、沈黙は金」という言葉ですが、トーマス・カーライルという歴史家が19世紀に広めたとされる格言であります。要は「発言をうまく自制しなさいよ」ということなのですが、この言葉をそのままストレートに受け取ると非常に危険です。
私はかつて後輩にこう言ったことがあります。
「沈黙は三流、言うだけなら二流、実現すれば一流」
日本人は文化的に、調和を乱さないように控えたり、忖度したり、あるいは察したり、といった風に「発言しないコミュニケーション」を取る民族であるため、仕事もさることながら、普段の友人同士の会話においてでさえ、自分の意見をしっかりと相手に伝えることができる人は本当に少ないと思われます。逆に言えば、これができている人が周囲にいるとしたら、その人はこの国において間違いなくレアな人物であり、さらにその発言がミスジャッジや悪意に基づかないものばかりで構成されているとしたら、その人とは付き合っていくべきです。
インターネットが世間一般で使用されるようになって約30年、国境などという概念は仕事/プライベートを問わずに雲散霧消している昨今、自分の意見を発しないことは非常に危険です。多くの海外勢にとってその行為が示すことは、「コミュニケーションが成立しない→この人とは仕事にならない」と受け取られるからです。
もう一つ、我々のようにクリエイティブな仕事をしている人間にとって、沈黙は「何も考えていない」という風に受け取られます。私たちが常に仲間に求め、求められているものはアイデアでありメソッドであるということを決して忘れてはいけません。それを自分の言葉で自分の考えとして示せなければ前進などないのです。
なので、私はかつてミーティングで一切の発言をせず、終わってからコソコソと文句ばかり言っている後輩に対して、前述の言葉を投げかけたわけです。多くの海外勢にとっては息をするかのように自然なことであっても、日本人にとって自分の意見を発することは自然なことではなく、勇気というガソリンが必要なことです。ですが、デメリットだらけの沈黙を選択する合理的な理由はないでしょう。
トーマス・カーライルさん、「沈黙は鉄くず、雄弁は銀、実現は金」みたいな感じでいかがでしょうか?
I.G
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